宝物館の文化財
八幡宮の春・秋季大祭と、足利市の文化財一斉公開日のみご覧になれます。
■延文記録
〔南北朝時代〕
延文2年(1357年)の記録。八幡宮は昔は神佛集合であり、大略現在の山辺小学校のところに別当寺院の神宮寺があって、その僧侶も八幡宮の諸祭典・諸行事に奉仕していました。その南北朝時代初め頃、一年間の八幡宮の諸祭典・諸行事を神宮寺側・僧侶側から記録した「年中行事書」です。「延文」は北朝の暦年号です。
[市指定 昭和34年2月17日]
■大永化縁状
〔室町時代〕
大永3年(1523年)に書かれた記録で、戦乱(応仁・文明の乱)によって荒廃した八幡宮の境内や社殿を復旧するため、広く資金募集を訴えた際の趣意書です。「化縁状」とは「勧進帳」の意味であり、広く復興費を募っていたことがわかります。
[市指定 昭和34年2月17日]
■天正時代の足利の地図、八幡郷検地帳及び名寄帳
〔八幡郷検地帳〕
上杉謙信の指示により作られたと伝えられ、杉原紙30枚の冊子である、首尾欠落しているため、年代執行者等判明しない。ただ後正月とあるので閏正月の年であることが判り、本文の反別書に反、大、半、小を用いられているところから見れば、太閤検地以前である。本件には少ない貴重なものである。縦25.5、横18 安土桃山時代。
[市指定 昭和44年4月25日]
■八幡宮本殿附八幡宮本社再建図
〔江戸時代〕
八幡宮の現在の社殿は文化11年(1814年)に造り直したもので、このときの図面が残されており、この設計図に基づいて造り直されたようです。
[県指定 昭和40年4月6日]
■下野國一社八幡宮所蔵資料
〔南北朝時代~昭和時代〕
古文書を中心に絵図や絵画など計2572点の資料で、古くは文明8年(1476年)8月の「禁制(長尾房清)」にはじまり、昭和38年(1963年)の「節分議員名簿」に至るまでの約500年間にも及びます。江戸時代から明治維新にかけての八幡村の歩みや、幕末維新期における社家縣家当主の静鎮隊の活動を示す文書等、あまり世に出なかった維新史の側面も知ることができる史料も含まれています。なお、八幡村以外の旧足利郡の村々のことを知ることができる文書にも注目できます。
[市指定 平成和23年3月22日]